ハードボイルド危機一髪

2008.02.11(21:04)
俺だ。ボギーだ。

まず「ハードボイルドが花粉症じゃいけないのか!」と、わざとらしく布石を打っておく。
その上で『俺は花粉症だ。それもベテランだ。』と開き直ってみせる。
おきまりのパターンで今回もスタートだ。

その日、すでに花粉は舞い始めていた。朝からくしゃみ鼻水あめあられの、
大変な状態に陥っていた俺は、完全防備で家を出た。

トレンチコートにソフト帽、これはいつものスタイルだ。
これに加えて花粉防護用メガネ。こいつは特注でレンズは真っ黒のサングラス仕様だ。
そして花粉症対策には定番のマスク。最後に革の黒手袋。こいつにあまり意味はない。
ただのファッションだ。まあ、はたから見れば仰々しい格好で家を出たわけだ。
しようがないだろ。花粉症なんだから。

時間はあっという間に過ぎて、陽はすでに落ちていた。

一日の仕事を終え、俺は家へと向かっていた。俺は住宅街を歩いていた。
時間は、そうだな、晩飯時ってくらいか、人通りもほとんどない。
俺の少し前をOLらしきお嬢さんが一人歩いている。そんな程度だ。
完全防備のおかげで、思ったほどひどいことにはならずに一日を終えることができた。
俺はほっとした気分で、気持ちが緩んでいた。

その時、事件は起こった。

10mほど前を歩いていたお嬢さんが肩に掛けていたバッグから、何かが落ちるのが
見えた。あたりは既に闇に包まれ、その場からは落し物が何であるか判別できない。
ところどころ街灯の周りだけがわずかに明るさを保っている。
俺は、落し物の場所まで歩くとそれを拾い上げた。『ああ、ハンカチか。』

そして、前を行くお嬢さんに向って声をかけた。
「お嬢さん、落し物ですよ。」
まっ、当然の行為だ。なぜなら俺はハードボイルドだからな。
婦女子にはジェントルに接しなきゃいけねえ。

ところがお嬢さんの反応は意外なものだった。
こちらを振り返るやいなや、
「キャー、痴漢!!」耳をつんざくばかりの大声で叫ぶと脱兎のごとく走り始めた。
「お嬢さん、ちがう、落し物だ!」俺は本能的に後を追った。
「キャー、助けてー!!」お嬢さんは叫びながらも、走り続ける。

20mほど追ったところで俺はハタと気付いた。
この構図マズくねえか??
『暗がりで若いOLを追いかける変質者の図』ってか?
俺は、トレンチコートにソフト帽、真黒なサングラスもどきの花粉防護用メガネ、
そしてマスクに黒手袋。100人が100人とも俺が変質者に見えるに違いない。

俺は踵を返して反対方向へと走り出した。一目散に走った。日頃、不節制の極みの
ような生活をしている俺の、どこにこれほどの持久力が残っていたかと思うほど走った。

5分ほども走っただろうか。もういいだろう。俺は公園のベンチにへたりこんだ。
「ふう、危ないところだった。」すっかり俺は犯罪者であるかのような気分になっていた。
逃げ切れたことへの安堵感でいっぱいだった。

しばらく休んだ後、俺は家に帰る途中だったことを思い出した。しかし、この場所から
家に向かうには、先ほどのあの場所を通らなければならない。それは勘弁だ。
俺は駅に戻りタクシーで帰ることにした。あの場所を通るには違いないが、
タクシーならまだ許せる。

俺は駅まで戻りタクシーに乗り込むと、目的地を伝えた。車は静かに走り始めた。
俺はすでに正気を取り戻し、やり場のない怒りを覚えていた。『クソッ、あの女!』
しかしその怒りの矛先をどこへ向けてもいけないことを俺は知っていた。
俺はハードボイルドだ。ハードボイルドは一時の感情にまかせて愚かな行動に
走っちゃいけねえ。俺はソフト帽、メガネ、マスクをとり、シートの上に無造作に置いた。

走りだして少し経ったころ、コートのポケットに突っ込んでいた右手が何かを感じ取った。
取りだしてみると、それは先ほどの落とされたハンカチだった。

車が先ほどの場所に通りかかった時、パトカーが一台赤色灯を光らせながら
停車しているのが見えた。その傍らで先ほどのお嬢さんが二人の警官相手に
必死の形相でまくしたてていた。

もう、いい。俺の中では、すでに終わったことだ。俺は車の窓を半分ほど開けた。
そしてその場にさしかかったところで、この騒動の全ての原因となったハンカチを
窓の外へと放った。ハンカチはひらひらと舞い、お嬢さんと警官の足元に落ちるのが、
バックミラー越しに見えた。

しかしお嬢さんはハンカチに気づくこともなく、明らかに辟易した警官相手に、
それでもなお何かを訴え続けていた。

また会おう。

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