お願い閻魔さま
2008.06.05(20:40)
俺だ。ボギーだ。素朴な疑問にぶちあたった。
俺のクールで可愛いブログは本当に日記なのか?
特に深くは考えず、必要があれば、俺はこのブログを日記というカテゴリーに入れてきた。
しかしどこに日記が書いてある?
書いてあるのは
限りなく灰色に近いクソネタばかりじゃねえか。
じーちゃんが言っていた。
「ウソつきは泥棒の始まりじゃて。」
じゃあ俺はこの先泥棒になるのか!?
泥棒になったら天国に行けねえじゃねえか?
天国に行くことができなければ、地獄に行かされるのか?
いやじゃ!
かといって、どっちにも行かずプリンちゃんのようにフリーターになるのもな…。
あ、いかん。
苦し紛れにプリンちゃんに逃げるのはもう止めたはずだ。
という今日は長い前置きだった。
『好意に甘える』って言葉がある。
俺は好きだ。
言葉もそうだが、その行為自体、どちらの側に立ったとしても嫌いではない。
依存し依存される、ということとは意味合いがちがう。
ちょっとした思いやり、それを素直に受け入れる。そんな関係だ。
ところがこの関係はとても微妙なバランスの上に成り立っている。
思いやりの奥に潜んだ他意、受けとる側の打算あるいは猜疑心。
もちろん双方の誤解、価値観の違いもそうだ。
こんなものによってもろくも崩れ去ってしまう、もしくは最初から成り立たない。
まっ、最近そんな場面に出くわしたわけだ。
あくまで俺の側の一方的な見方だが、好意を踏み台にされた、ってとこかな。
一度目、二度目は大目に見ても、確信犯とわかった時点で見限った。
相手には相手の言い分があるのかもしれない。
あるいは常にそうしてきているために、それが普通なのかもしれない。
俺はそれについて尋ねる気はない。
もちろん快く思っているわけもない。
これ以上踏み台にさせないだけの措置をとったら、
あとはただ関係を断つ。それだけのことだ。
悲しい話だ。
また会おう。
ウソつき→泥棒→地獄落ちる、にならないように、日記風のものを書いてみた。
これで当分、日記を名乗っても閻魔さまは許してくれるにちがいない。
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